展覧会

 

Exhibition

「美人画ラプソディ・アンコール—妖しく・愛しく・美しく—」

 

【開催趣旨】

 近世以来、わが国では女性美を主題にした、いわゆる「美人画」が多く描かれてきました。明治以降も、女性の美しさとそれを彩る様々な装いや風俗を表した絵画は描き継がれましたが、時代が進むにつれ、やがて画家たちは表面的な美を描くのみならず、労働に携わる姿や日々の暮らしの何気ないひとこま、人生の局面における喜びや悲しみなど、女性の「生」を見つめた作品も描くようになります。その背景として、明治30年代に起こった社会主義思想の高まりによる弱者への共感や関心、あるいは明治40年(1907)に始まる文部省美術展覧会(文展)など大小の展覧会において画家の個性が問われる場が増えたことなどが考えられます。

 本展覧会は、2020年春にご好評をいただきながらもCovid-19感染拡大防止のために短期の開催となった展覧会「美人画ラプソディ―近代の女性表現―妖しく・愛しく・美しく」のアンコール展です。前回の展示に一部新たな作品を加え、海の見える杜美術館が所蔵する明治から昭和にかけての女性を描いた作品を、「四季風物と美人画」、「女の暮らしと人生」、「女の装い プラス・マイナス」、「少女と美人画」の四章に分け、近代において様々に変容をとげる美人画の諸相を画家達による「ラプソディ(狂詩曲)」と捉え紹介いたします。個性的な画家たちが絵に留めようとした多様な女性美、あるいは女性たちの生のありようをご覧いただくことで、近代における「美人画」の意義や、絵画表現に与えたインパクトを検証する絶好の機会となるでしょう。

チラシダウンロードはこちら

【会期】2021年9月4日(土)〜11月7日(日)

 ※会期中展示替えがあります。前期9月4日〜10月3日 後期10月5日〜11月7日

【会場】海の見える杜美術館(広島県廿日市市大野亀ヶ岡10701)

【主催】海の見える杜美術館

【後援】広島県教育委員会、廿日市市教育委員会

【開館時間】10:00〜17:00(入館は16:30まで)

【休館日】月曜日(但し9月20日(月)は開館とし、翌日21日(火)を休館とする)

【入館料】一般1,000円、高大生500円

 

【イベント情報】

・当館学芸員によるギャラリートーク

[日時]:9月11日(土)、10月9日(土)、11月3日、13:30〜(45分程度)

[会場]海の見える杜美術館 展示室

[参加費]無料(ただし、入館料が必要です)

[事前申し込み]不要

 

- 章立て・主な出品作品 -

第1章 四季風物と美人画

 古来、女性の姿は描かれてきましたが、明治期以降、私的な空間で見る絵画であった美人の絵画が展覧会という公の場で鑑賞されるようになります。特に1907(明治40)年、文部省美術展覧会(文展)の開設以降、美人を描く絵画は加速度的に増え、1915年(大正4)の第9回文展では、「美人画室」と呼ばれる一室が登場するまでになります。美人画が日本画の中の一つのジャンルとして認識されていたことが見て取れます。

 さて、美人画とは、その名の通り美しい女性を描く絵画ですが、近代の多くの画家は、それぞれの個性で女性美をいかに表現するかを重視しました。日本において、四季は生活に密着しており、装いにも暮らし方にも大きく影響しています。女性を様々なシチュエーションで描く上で、四季ほど親しみやすく、変化に富むものはないでしょう。

 ここでは、画家たちがそれぞれの美意識で描き出す四季折々の女性美をご覧いただきます。

渡辺幾春《春秋美人》大正時代

鰭崎英朋《春秋観花図屏風》1904年(明治37)

上村松園《紅葉可里》昭和時代初期

第2章 女の暮らしと人生

 理想的な美人が描かれる一方、ただ美しいだけではない女性像も描かれました。明治維新以降、急速かつ飛躍的に近代化が進んだ日本の社会は、その変化から取り残された貧しい人々も多く生みました。そうした社会の矛盾へと目を向けた画家たちもいたのです。

 千種掃雲は、日本画に洋画の写実性を取り入れただけでなく、「美」よりも「真」の姿を絵に写そうと、労働者や、社会の片隅にいる人々の姿を鋭く切り取りました。

 彼のほかにも、そこに現実としてある女性の日々の仕事や、暮らしの何気ないひとこまを描き出そうという画家は多くいました。三露千萩の《編み物》はその典型でしょう。秦テルヲの《母と子》《母子像》なども、画家自身が妻と子を得てとらえた女性の姿のひとつとして受け取れます。

 本章では、画家たちが表面的な美を超えてとらえた女性の生きる姿を紹介します。

三露千萩《編み物》1929年(昭和4)

千種掃雲 《ほゝづきの女》1911年(明治44)

第3章 女の装い プラス・マイナス

 美人画の魅力のひとつに、装いの美しさがあります。色とりどりの着物、多種多様な髪型、化粧、さらには洋装など、美人画には実にさまざまな装いが写し取られています。こうした外見上の美に力を注いだ作品は、しばしばそのことが批判の対象となりましたが、一方で、江戸時代の浮世絵が一種のスタイル画の役割を果たしていたように、近代の美人画も美容のお手本として、女性たちに受け取られていました。

 そして、装う最中の女性たちの姿もまた、美人画の題材のひとつでした。浮世絵でもしばしば取り上げられてきた題材ですが、大正期には岡本神草の《梳髪の女》や増原宗一の《夏の宵》に見られるような妖艶な雰囲気を漂わせて装う女性像が描かれるようになります。

 これら、着物や化粧が装いの足し算だとすれば、ヌードは装いの引き算といえるでしょう。甲斐庄楠音は、ヌードモデルを使用しての研究を行い、本格的なヌード表現に取り組んでいます。

三木翠山《茗宴》1936年(昭和11)

増原宗一《夏の宵》1926年(大正15)

第4章 少女と美人画

 1872年(明治5)の学制公布により男女の別なく教育を受けることが奨励され、明治30年代後半には女子の就学率が90パーセントを超えました。それに伴い、女性向けの商業雑誌が次々発刊され、『少女界』『少女世界』などの少女雑誌は、表紙絵や挿絵などにおける少女像の需要を生み、少女に対する関心を高める役割を果たしたと考えられます。

 メランコリックな少女像で人気を博した竹久夢二は、多くの少女雑誌に作品を提供しました。また、夢二と交友のあった秦テルヲは、小学校や幼稚園で子供のスケッチを行い、その成果は幼い子供たちの遊ぶさまを描いた《遊戯》によく表れています。

 一方、同じ少女でも、芸妓となるための修行中の身である舞妓の姿は、近代以降多くの画家たちによってさまざまに描かれてきました。

 さまざまな顔をもつ少女たちの姿を、本章では紹介いたします。

岡本大更 松村梅叟 合作 《金魚》大正時代

秦テルヲ《遊戯》
1912年(明治45)

大林千萬樹《ゐねむり》

1916年(大正5)